母のお詫びのしるし  T


心配しました。コロナで家にいる事が多くなった母が、いない。私が出かける時には もういなくって 一度帰った時もいない。もう一度用事に出かけ帰った時もいない 母の靴がない。その間2時間くらい 心配で心配で 心臓がドキドキしました。電話をかけても繋がらない。やっと母から電話があり 出かけたついでに美容院に行っていた事が分かりました。お詫びの印のたまごを私に渡しながら 「申し訳ありませんでした。でも もし私になんかあったら 身分証も携帯も持ってるからすぐに連絡がつく」どう思います?母を怒るんじゃなく どれだけ心配したかを伝えたかったのですが、92歳の母は、頭も体も精神も至ってしっかりしているので、この期に及んで言い訳をするんですよね。可愛くない。でも笑っちゃいました。あ〜良かった。母を探して心配したのは、今回が、初めてですが 息子を探した事もありました。健太が、まだよちよち歩きの頃 池田の市民プールに二人で出かけました。そして私が、ふと目を離した隙に 健太が、いない。心配しました。心臓が、バクバク ドキドキ。あの時は、もしあの子が死んだら 初孫を溺愛してる父にどう言ったらいいの?悲しくって プールの中 プールサイド プールの建物の外を探してもいません。そんな時 息子の可愛い声が聞こえてくるではありませんか。私が 泣きながら探していた息子は、プールの監視員さんのお部屋で楽しそうにお喋りしていました。父を悲しませずに済んで 心の底から良かったと思い ホッとしました。ついでに言うとこんな事もありました。バリバリ働いていた松喬さんは、仕事と打ち上げがセットで、毎晩呑んでいました。ある日待てど暮らせど帰ってきません。心配しましたが 今の様に携帯がなかったので、こちらから連絡する事もできず、心配しながらただ待つしかありません。時間が経って真夜中 電話が掛かってきました。「帰りたいねん。迎えに来て」「どこ?」「分からへん」それでは、迎えにいけません。生きていると分かった私は、その電話で安心し眠りにつきました。そして松喬さんは、酔いが覚めて 朝になり自力で帰ってきました。今だから正直に言うと 私も若い頃 帰りが遅くなり母に心配をかけた事が、いっぱいありました。「お母さん お互い様でした。明日の朝は この上等のたまごでベーコンエッグするね」
2020年5月17日 T

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